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古文「正徹物語」からの出典です! 為秀 あはれしる友こそかたき世なりけりひとり雨きく秋のよすがら 此歌をききて、了俊は、為秀の弟子になられたるなり。「ひとり雨きく秋のよすがら」は 上句にてあるなり。秋の夜ひとり雨をききて、「あはれしる友こそかたき世なりけれ」とおもひたるなり。あはれ知る友あらば、さそはれて、いづちへもゆくべきか、語りもあかさば、かく雨はきくべからず。いかむともせぬ所が、殊勝におぼえ侍る也。「ひとり雨きく秋のよはかな」ともあらば、はつべきが、「あきの夜すがら」といひすてて、はてざる所が肝要なり。「ひとり雨きくあきの夜すがらおもひゐたるは」といふ心をのこして、「夜すがら」とはいへるなり。されば「ひとり雨きく秋の夜すがら」は、上句にてあるなり。ひとり雨きくが下句にて侍らば、させるふしもなき歌にてあるべきなり。杜子美詩に、聞雨寒更尽、開門落葉深云々、この詩をわれらが、法眷の老僧ありしに、点じなほしたる也。昔より雨と聞くと点じたるを、此点わろしとて、雨を聞きてと、ただ一字初てなほしてけり。初より落葉と知りたるにては、その心せばし。雨をとよみつれば、夜はただ誠の雨とききたれば、五更既に尽きて、朝に門を開てみれば、雨にはあらず、落葉ふかく砌に散りしきたり。此時初ておどろくこそおもしろけれ。されば歌も一ものにてあらぬものにきこゆる也。 この一節ですが設問で「ひとり雨聞く秋の夜すがら」は、歌の形としては下の句であるはずだが、それを何故筆者は「上の句にてあるなり」といっているのか。その説明を分かりやすく説明せよ。 という問題なのですが、この説明が上手く出来ないです。 本文に内容が書いてあり全訳を一度読んでみたのですが上手く読み取れなかったです… 良ければご回答いただけたら嬉しいです。
「ひとり雨きく秋のよすがら」は形式的には下の句であるが、心情の流れの順序としては上の句である。なぜなら、「ひとり雨きく秋のよすがら」で、なぜ一晩中ひとりで雨の音を聞いているのか、それは「あはれしる友こそかたき世なりけり」で、ともに雨の音を聞きながら胸襟を開いて語り合う心の友はなかなかいないのだからねえ、と感慨にふけっているからである。つまり、心情は下の句から上の句に続いていっている。 もしこれを「ひとり雨きく秋のよすがら」でなく、「ひとり雨きく秋のよはかな」としたら、心情的な流れも順序よく、上の句から下の句に続いている。しかし、これでは、心の友とはなかなか得難いものだからひとりで夜の雨を聞いている、となって、これでは凡庸で平板な述懐に過ぎない。 やはり順序を転倒させ、いわば種明かしをあとに持ってきたところが、この歌の真骨頂であろう。 これは杜子美の「聞雨寒更尽、開門落葉深」の初二字を「雨を聞き」と読んだのを、「雨と聞き」に直したの同じである。 「雨を聞き」であれば、夜中に雨音を聞き、朝門を開けたら落葉が積もっていた、というどうということもない光景を詠んだにすぎない。「雨と聞き」であれば、夜中に雨音と思って聞いていたが、朝門を開ければ落葉が積もっていた、ああ昨夜の雨音はこの落葉の散る音だったのだ、という新鮮な驚きがあって、そこに名詩たる所以があるのである。

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  崇教真光本部から御み霊(おみたま)の図柄の説明はありませんが、冒涜者によって中身 ......
崇教真光本部から御み霊(おみたま)の図柄の説明はありませんが、冒涜者によって中身まで開示されネット上で写真公表されていますから、この際その図案による神示の深さを公示するチャンスにしたいと思います。 全文 http://blogs.yahoo.co.jp/syuushigaku/MYBLOG/yblog.html 冒涜者がふたを開ける前に無造作に置いた御み霊ですが、その鎖が鳳凰(または鷄)の形をしていることは、偶然とは思えません。神様が御み霊の説明をせよ、と仕組まれたと解釈できます?。 私が最も驚いたのは、スペード(主に支払う努=人は神に育たなければならない)のマークです。これはペン先で、学問のすすめが全てであると秀思學が主張してきたことにまさにヒットしているからです。主座の入り口のドアの形、天井板の形、そして奥津城の太陽の形がペン先(スペード)で、富士九湖(富士五胡の秘密を知れば世人救わる=み歌)の先端に一万円(ドル札→円札)の福沢諭吉、学問のすすめが来る。そして去年の4月に登った位山には「一人旅を教えるのが学問である」という立札がありました。 去年の9月18日(究明して神開くべしの遺言)に二代恵珠様が幽界誕生されました、殻田作りの夏を終えて、いよいよ帰り道、実魂作りの成人、徳仁の自己完成の秋、夏と秋の二度読まれる聖書の耶教→蘇教は阿蘇、蘇我の運の時(鴇)、 己の腹の虫の蝮(真無視=、馬、熊)、を襲って本の日(←月)に帰る=大和、国作り(持国天)の完成、この悪阻、反省のために学問(神の学理、真理)を進める必要があるのが三代目(光央=井上の真央)の使命です。 酉(にわとり=二波採りで魂のパンをえる神道=朝の誕生を迎える)年の始めに御み霊の神示が解説を許されることは深い意味があります。 先ず中の紙(御神体)を読みます。初級か中級が解りませんが聖鳳の頭にゝがあります。丁髷を結う、侍としての精神で考えて行動をせよ、=腹の虫の蝮(ユダの商人根性=666)を治めて999の上を向いて歩けば(逆本を究明せよ)涙がこぼれることはない、です。 上級のスペードは、主に支払いの努力をする秋なりで、支払う=ム(無=神抜き=南無)と戦って十字架を運ぶ、神の親の夢と愛の働きに応えて一人前の人、神に育つことです。そのためには腹の虫の蝮の毒(角=穢場エバ=糞尿、大小便)を去る、反省、悪阻生活に努めることが神と文通の阿運アメンキャッチボール、二人三脚をして天国の階段を上がる(矢)ことである、です。 ?紋=神と人のシ(視仕肢 志思糸歯詞詩姿指支)合わせ=▽+△=甲+由→伸びる、凹(憂様)+凸(便)→螺鈿細工=911、母(÷)+父(×)→子(十、テンにトウ達する)=命、マイナスを叩けば上に引き上げられる=-(横、水)+I(縦、火)=十→オ=1+1=3、神の産土力、繁栄の他力本願、十=正数、天から下されたものを受け止める、米と女を攻める=番、日田を台にして法の蓋をして米(小芽、小目、小女=ミス、未主)を温める→美味い,旨い,午い魂のパンを得る。 上級の教え、帆かけ舟=船山に奥津城にヒットしている、川上岳(かおり=女性、エバ)→天の遊歩道(7,7km=七夕)→位山(男性、アダム)、精神の刀で腹の蝮を治めれば「辺」の帆掛け船、ノアの方舟と成って彼岸に渡ることができる。 月日=夜の代→昼の代=殻作り→実魂作り=青年→成人(翁)=米西欧→日本=地代→屋智代=七→廿の二回の苦労を巡ってこそ明るい世の完成を迎える神の計画経綸。日→月→日=月の膝を折って(礼拝)日の神の子(SUNのSON)に帰る。 松=アブラハムは松(テレピン=TEL便=神とキャッチボールをする)の傍らに住居を構えた。石油を巡る争いの世が人間を育てる=あ阿のブラツキ(怠けの木とエテ公を食む(噛む、咬む)阿運に生きる→猿→翁(猿田彦尊) 陸、海=ランド(走土=テンに正しくして腹黒を浄める)、産みの母(シー、女)を渡る苦労が彼岸(天国)に渡る道である=海を割ってエジプト(殻、枠、バビロン、物品の囚われの胎蔵界)を出るモーゼ(リンカーン=鈴鐘を鳴らす) 漢字 地理 歴史 天地一切神の声 最後の学問「秀思學」のすすめ
で? 何が言いたいの? 意味不明ですよ

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春夏秋冬の良さを一番ずつ説明していく歌の名前が思い出せません。 一番 春〜 二番 夏〜 みたいな感じです
四季の歌 ですかね? https://youtu.be/EPqZGsPYmQg

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今期(2016年秋アニメ)のアニメの、高校生のキャラ(もしくは高校生ぐらいの年齢(と思われる)のキャラ)で好きなキャラは誰ですか? 僕は、 1位 苑生百花ちゃん(ガーリッシュナンバー) 2位 藤川歌夜ちゃん(ステラのまほう) 3位 飯野水葉ちゃん(ステラのまほう)
1ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン(ブレイドウィッチーズ) 2ジョーゼット・ルマール(ブレイドウィッチーズ) 3高坂麗奈(響けユーフォニアム) 4本田珠姫(ステラのまほう) 5星あさみ(あにトレ) です。 ちなみにブレパンのニパと誕生日が一緒です。

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質問です。西行が、関東地方で詠んだ歌って何か思いつくものがありますでしょうか? 京都、吉野や平泉で詠んだ歌ばかり目立ちます… ●風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへもしらぬわが思ひ かな ●心なき 身にもあはれは しられけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮 くらいしかわかりません。どなたか思いつく方いらっしゃいましたらよろしくお願いします。
秋は只今宵一夜の名なりけり同じ雲居に月は澄めども 武蔵野の庵に宿って詠んだものだそうです。 近代デジタル本、西行法師一代記にあります。

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オススメの曲教えてください! いまよく聞く曲は ☆ワイルドスピード meneo くどぅろタンス ☆ak-69 start it again cut solo ☆xriz oye nina ☆luz revolvear ☆acid black cherry ピストル イエス 蝶 ☆purple stone 歌舞伎町バタフライ ☆Royz egoist ☆LGmonkees 3090〜愛の歌〜 ☆平井大 祈り花 ☆清水翔太 my boo ☆伊豆三兄弟? 純白の花嫁 ☆ヒルクライム 春夏秋冬 ☆キャラメルペッパーズ ウェディングsong ☆九州男 6000_1? です!
インディーズバンドメインで紹介します。テレビの音楽番組に出るような有名なバンドは、ほぼいないので、不要ならスルーして下さい。 【SABANNAMAN】 2015年にCDデビューしたばかりの若手ミクスチャーバンド。ガラガラのライブハウスで演奏することも多かった無名のバンドが、ファーストアルバム発売後たった1年で、彼らがリスペクトするレッチリと同日のフジロックフェスティバルへの出演が叶うという、まるで漫画の「BECK」を地でいくような夢のあるバンド。中毒性あります。 SABANNAMAN / Mutant Walk https://www.youtube.com/watch?v=q8o2udus6rw SABANNAMAN / Light In Dark https://www.youtube.com/watch?v=K8uLmaxZXpw SABANNAMAN / Jesus My Teacher https://www.youtube.com/watch?v=tDpFuxiYaS8

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秋から春の終わりまで,ずっと雪やこんこんの歌かけてる車があるんですが、夜でもかけてるんです、どうすればいいでしょうか?
関係無いでしょ〜!貴方が如何すればと悩むような問題ですか? 騒音の事なら警察に通報すれば

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  古今和歌集からの出典です! 今の世の中、色につき、人の心花になりにけるより、あだ ......
古今和歌集からの出典です! 今の世の中、色につき、人の心花になりにけるより、あだなる歌、はかなき 言のみ出でくれば、色好みの家に、埋もれ木の人知れぬこととなりて、まめ なる所には 、花すすき穂に出すべきことにもあらずなりにたり。 その初めを思へば、かかるべくなむあらぬ。いにしへの代々の帝、春の花の 朝(あした)、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々を召して、ことにつけつつ、 歌をたてまつらしめたまふ。あるは花をそふとて、たよりなき所にまどひ、ある は月を思ふとて、しるべなき闇にたどれる、心々を見たまひて、賢(さか)し、 愚かなりとしろしめけむ この本文中の 「ながらの橋もつくるなりと聞く人は、歌のみぞ心を慰めける。」 の、部分がうまく訳せません。 問題集では設問になっていて この文中の「なり」が、断定の助動詞である、と載っていたのですが、自分は伝聞推定の助動詞 なり かと思ってしまいました。 この場合、文法的な判断の仕方はありますか?それとも、現代語訳から適当なものに当てはめる方が良いのでしょうか? ご回答お待ちしております。
結論から言うと、文法的な判断の仕方は、この場合、「ありません」。 ここの「なり」の解釈は、諸説あるのよ。 まず、この引用文が、「古今和歌集」1051伊勢の、 「難波なる長柄の橋もつくるなり今は我が身を何にたとへむ」 の和歌のことだということはわかってるね。 「長柄の橋」というのは、「ながら(ふ)」という言葉から、 「古いもの、古びたもの」のたとえとして使われる慣用的な語なのね。 「古いもののたとえとしてよく言われる、難波にある長柄の橋も、(つくるなり)。 今となっては、この古びた我が身を、何に喩えようか。」 というわけだけど、その伊勢が詠んだ「つくる」が、 「造る」なのか「尽くる」なのか、わからないんです。 その「長柄の橋」も、今は「造る=再建されている」・・・と考えたら、 「造る」はラ四だから、終止と連体が同形で、 「なり」は、「終止→伝聞推定」、「連体→断定」と、 文法上は、どちらにもとれるけど、 そこは、ふつう、「伝聞推定」でとるでしょう。 女流歌人伊勢が、「難波」にある「長柄の橋」が再建されているかどうかを、 「断定」することはできないじゃない、建設に携わってもいないのに。 どう考えても、「再建されているそうだ」だよね。 「古いものの喩えである難波の長柄の橋も再建され(て新しくな)るらしい、 古びた我が身を喩えるものが、もうない。」 でも、「長柄の橋」も、今は「尽くる=腐り果ててなくなってしまう」・・・という意味だとしたら、 「尽く」はカ上二だから、「尽くる」は明確に「連体形」、 すると、「なり」は、確実に「断定」だよね。 「なくなってしまったのだ」という意味ということになるよね。 「古いものの喩えである難波の長柄の橋もなくなってしまったのだ。 古びた我が身を喩えるものが、もうない。」 さらに、「つくる」じゃなくて「くつる(朽つる)」の誤写説もある。 これであるとしても、「なり」は、連体形接続で「断定」ということになる。 「朽ち果ててしまったのだ」という意味になるね。 和歌として流れがいいのは、断然、「伝聞」なのよ。 こんなとこで、「断定」する和歌、中古には、まず、ないわ。 一応、「伝聞」説が、有力といえば有力。 そこで、仮名序の、 「今は富士の山の煙も立たずなり、長柄の橋もつくるなりと聞く人は、歌にのみぞ、心を慰めける。」 の対句の「立たずなり、つくるなり」の「なり」をどう見るのか、 という問題が残る。 「つくるなり」の「なり」を、貫之が「伝聞」と解釈しているとすれば、 「立たずなり」の「なり」も、「伝聞」で、対句にしているの? でも、伝聞推定の「なり」が、「ず」に接続するときには、 ふつうは、「ざるなり」形になることは、紀貫之の時代には、すでに確立していた。 だって、貫之本人が、「土佐日記」で、 「今はとて見えざなるを」「海賊は夜ありきせざなりと聞きて」 と使っているもの。 「今昔物語集」なんかに、「ずなり」型の接続は、一応、あるけどね。 「立たずなり」の「なり」は、 平安時代なら、ふつう、助動詞ではなく、ラ四動詞として解釈されている。 「立たなくなり」ということ。 すると、「対句」だとしたら、「つくるなり」の「なり」も、 ラ四動詞「成る」なの????? そりゃ接続が変だよねえ。 では、「立たずなり」と「つくるなり」は、もともと「対句じゃない」のか? それはそれで、文章構造上、変。 ちなみに、小町谷照彦の校注では、 「煙も立たなくなり、長柄の橋もまた造るようになったと」と、 いずれも、ラ四動詞で解釈しているくせに、 歌集本文の伊勢の和歌は、「作り替えているそうだ」と訳してあるよ。 どないやね〜〜〜〜〜ん^0^ (うん、和歌のほうは「伝聞」で、 「ずなり」は当然「ラ四」で、 それと対句の「つくるなり」も「ラ四」だ、 という、それはそれ、これはこれ、という解釈なのね、きっと^^;) ・・・というわけで、この「なり」は、疑問が多いんだよ。 つまり、こんな、謎の多い「なり」をつかまえて、 「断定」と、しかも少数派の意見で決めつけて書く、その問題集がどうかしているのです。

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  AKBのセンター、エースの条件は何だと思う? 1.歌、ダンスが上手い 2.手足が長い ......
AKBのセンター、エースの条件は何だと思う? 1.歌、ダンスが上手い 2.手足が長い、スタイルがいい 3.オーラ、カリスマ性 4.人気度 5.巨乳かどうか? 6.秋元氏、運営のごり押し 7.可愛い、美人かどうか? 出来れば項目のみ回答してください。
3、と6、あと本人のやる気。 あっちゃん、てちは満たしてます。 ぱるるはやる気が足りなかった( ノД`)… あっ!もちろん7も最低限必要ですけど。。。

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  和歌集の解説に出てくる用語、技法について 和歌集ではよく『「○○」という言葉に「 ......
和歌集の解説に出てくる用語、技法について 和歌集ではよく『「○○」という言葉に「●●」を響かせる』という表現がありますが、 「響かせる」というのは掛詞とは違うものなのでしょうか。 また、「秋の夜の月や雄島のあまの原明方ちかき沖の釣舟」(新古今秋歌上403)という和歌は、 解説書に『「月や惜しま(む)」から「雄島」へと続け、 さらに「雄島の海女」から「天の原」へと続ける』と書いてあったのですが、 この場合、「惜しま(む)」・「雄島」、「海女」・「天の原」は 掛詞とみなしてもよいのでしょうか。 ご回答よろしくお願いします。
もう少し前後の文章が必要ですね。あるいはあなたの見た解説書の題名、著者名が必要です。というのも「響き」というのはそうはっきりした和歌の技巧として認定されたものではなく、著者によって意味に相当なずれがあるようだからです。 たとえば河東碧梧桐の新興俳句の理論書を見ると、言葉の響きという術語が出てきます。これは掛詞のように他の言葉を連想するというものではなく、純粋に音響の与える美的な効果のことです。「風(かぜ)」と言ったとき、「ka」「ze」という二つの音響がどう感じられるか、作者の心情をどのように表現しているかと言うことです。 とにかく具体的な、文献名や、典拠を示さないと、答えようがないし、批判もできません。 雄島(惜しま)と天(海女)は掛詞ですが、これと響きとは関係ないですね。ただ同音異義というだけです。音響の与える詩美とは関係ありません。 万葉集は響きの美が充満しています。特に柿本人麻呂は交響曲のようだと言われます。 新古今集などは少し違うようですが、やはり音響というからには、ただの同音異義語の連想ではすまないでしょう。

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